佐藤 引退
卒業1
昨年9月の岐阜フェスタの出場を最後に佐藤京香が競技生活を終えました。
長きに渡り応援して頂きありがとうございました。
*エピソード*
年中でNOVAのスタジオレッスンから新体操を始めた京ちゃん。育成クラスに入ったのは小学2年生。同じ学年の中でも、とにかく身体が小さくて目立っていた。
身体が小さいからといって年齢よりも幼かった訳ではなく、いつも穏和で周りを和ませてくれた。しかし一度だけ体育館の前でグズって泣いていたのが印象にある。
泣いてる姿を見たのが初めてだったので
少し驚いたが、、、ママには「やるの?やらないの?!どっち!( ̄^ ̄)」と言われ・・・
オギャー(´༎ຶོρ༎ຶོ`) と、こんな顔してました。笑。
そのあと普通に練習していたが初めて見た幼い姿であった。そこから15年間彼女の成長を見守る事になるとは想像もしなかった。
NOVA史上初のチャイルド団体で長野カップに出場したメンバーの中にいた京ちゃん。身体の小ささを生かして小気味良く動いてくれた。その時は徒手団体だったが、発表会作品を踊っていても運動の勘が良く、手具も自然に扱えて教えた事の飲み込みがとにかく早かった。その力に目をつけて選手クラスに上げたのは4年生だった。一足先に選手クラスに上がった遥菜とはまた異なるカラーの選手で、コミカルさと巧みな技術を持ち味にした選手で、とにかくコツコツカリカリと努力型であった。
小さい時から割と褒められる事が多かった京ちゃんだったが、記憶に残る珍事がある。小5の時に個人選手として長野カップに出場した。ロープを踊った京ちゃんは「あの小さい子、上手でしたねー」とたくさんお声を頂いた。まだまだ駆け出しの頃だったがこれからの成長を楽しみにした瞬間だった。その翌朝、朝食会場集合時間になっても姿を見せない京ちゃん含む選手3人。これはもしや・・・( ̄^ ̄)と部屋の扉を トントン、トントントンと叩いてみたが応答なし。行き違ったかな?と朝食会場に行ってもやはり姿は見えず。。
まさか、これは。。。と再び部屋の扉を
バンバンバンバン・ババババババンと叩いたみた。すると・・・ガチャ。。。「おはようございます。京ちゃんはまだ寝ています。。。」 部屋を覗くと広〜いベッドに大きな「大の字」を描いて爆睡している佐藤京香選手がいた。この日の出来事はのちに「NOVA朝寝坊事件」として歴史に残るとともに、その後のNOVA遠征持ち物に
「目覚まし時計」が必須となった理由である。もちろん大の字京ちゃんの隣には大の字五十嵐が寝ていたのは紛れもない事実である。。。
しっかり者の京ちゃんも、ちゃんと子供な幼い部分が見え隠れする時期であった。
ジュニア期は先に活躍し始めた遥菜の後を追いかけるかのように、試合の応援に行っては「次は自分もこの大会に出たい!」と純粋に目標を掲げ、とにかくスピードのある動きと他の人がやらないような技への挑戦を武器に遥菜とは違ったカラーを出して全中大会、全日本ジュニアへの出場を果たした。
高校生になりシニア期へと変わり、またジュニアとは一味違うシニア大会にも頑張りを見せた。身体が小さかった京ちゃんがシニアで戦うには苦労も多く、コミカルが売りの佐藤京香から少しずつ新たなシニアのカラーを出すのも容易ではなかった。
勝ち上がれば出場できる試合もあれば、インターハイのように県から1名しか通過しない大会は、二人ともがその1枠獲得に向けて刺激し合うような練習をしていて、見ていて微笑ましく思う反面、二人とも出場させてあげたいなぁ。。と思う心境でした。
自分の前を走る遥菜と後輩の滑川美空が著しい成長を見せて追い上げてきたので、間に挟まれた京ちゃんはとにかく常に全力で努力していたのが印象深い。
インターハイこそ出場は出来なかったが
様々な大会はだいたい二人揃って出場できた。本人の高校時代最後の目標は全日本選手権に出場する事であった。高校3年にして念願叶って権利を得る事ができた。
初出場のALL JAPAN。試合が近づいて来ると共に非常に練習の精度が悪くなり、とにかく緊張からか弱気になっていた本人に
「そんなに不安なら自分は最下位なんだと思って出場しなさい。どんだけボロボロに失敗しても、自分より下は居ないと思えば気が楽でしょ!( ̄^ ̄) ! 」
と、叱咤激励を飛ばした私であったがこれが功を奏したのか、試合本番の京ちゃんは何かを割り切ったかのように、清々しい演技を披露してくれた。結果14位。翌年の代表決定戦にも通過する快挙を成し遂げた。本人の渾身の努力とそれを支えた家族の努力が実になった瞬間であった。
新体操選手において、自分にもっと○○があれば。。とか、○○を持ち合わせていれば。。と大半の人が一度は思ったことがあるのではないだろうか。もちろん京ちゃんもその一人。試合後に「京香ちゃんは多くの新体操選手に夢と希望を与えてくれる選手です。」とジムラブのシーナさんにお言葉を頂いた時は、高得点よりも嬉しい一言でした。
大学に進学して新体操を続投する事を遥菜よりも一足早く決意して進路を自分で決めた本人。大学入学と共にルールは更に変化し、年々技の量に追われようになり、それまで器用と言われていた京ちゃんも、技が増える分ミスする事との隣り合わせで、常に緊張や不安、最終結果を気にする余り乱れる事も増えた。学年が上がるたびに増えていく故障と自分の理想と現実が思い通りに行かない辛さに何度も涙を流しては、また立ち直ってひたむきに努力する姿は小さい時と変わらなかった。
そんな京香さんでもコロナにより日本国中が自宅待機になった時期には、意気消沈した。来年こそはと立ち直って迎えた大学4年では絶望の果てまで落ち込んで、「二度とフロアには立たない」と引き篭もった。
そんな本人に奇跡とも言えるコロナ禍でのクラブ選手権にチームが決勝に残った連絡が入った。予選はコロナ禍で初の試みの映像での予選。誰もが結果は見えなく、この予選に通過しなければ京香さんにはもう後が無い状況であった。
絶望からのスイッチはすぐには入らなかったが、試合までは約3週間しかなかった。
ほぼ毎日のように彼女の練習に付きっきりで過ごした。最期にしてここまで濃厚な時間を過ごせた事を幸せに感じた瞬間であった。
ジュニアの頃は、技のデパート、踊るチョロQ なんて言われた事があったが、さすがに22歳の彼女にそこまでのパワーが無い。若い時は、何も考えずサラっと出来たような技が、どうやればいいのかさえ分からない事もあった。
歳を重ねる度に身体が大きくなったり、様々な故障により変化していく自分の身体。体力も足りなくて思い通りに身体が動いてくれず、思ったように技が決まらない。成功するか失敗するか不安がよぎる。
練習を見ていると、小さい頃を思い出す事もあり、大人になったなぁ。。。と、しみじみ思いながらも、、、、毎日葛藤ばかりであった。迎えた全日本クラブ選手権本番は、最期にしっかり全盛期の京香さんを思わせる演技をしてくて本当に清々しい踊りでした。
公式戦はこれが本当に最後だったので、もっと破茶滅茶になるかとも予想していたが、本人は「ビックリするほど緊張してないんですー。(´∀`*) 」と、とても試合を楽しんでいた。
こんなにやれるんじゃないか。。。とつくづく思った。とにかく本当に良かった(´ω`) ほっ。お疲れ様でした。良く努力した!頑張った事を「財宝」にしてほしいです。(^∇^)
本人を後押ししてくれるルールの時もあれば、苦しめられるルールの時もありましたが、「キャラクター」を創り上げながら見ていてワクワクする演技をたくさん踊ってくれました。京ちゃんの演技が好き、演技見たい!楽しみ!というお言葉をたくさん頂き、声をかけられる度に励まされ「また頑張ろう」という活力になりました。
多くの方々に応援して頂き本当にありがとうございました。お世話になりました全ての方々に心より感謝申し上げます。