滑川美空 引退
滑川美空 引退。
滑川美空が 発表会をもって、選手としては
昨年の全日本選手権をもって 現役を引退する事になりました。
歴代のNOVAの選手の中で 最も エレガントに踊ってくれる選手だった 美空ちゃん。
小4の時に NOVAに来て 公式の初試合は 6年生のチャイルド選手権。この年は ロンドンオリンピックの年でした。オリンピック二連覇を成し遂げた あのカナエバ選手を
「知らない、、、」と言った美空ちゃんに 衝撃的でした。この子を選手として育てるには どんな苦労が待っているのだろうか、、、と 考えた記憶がある。(^-^;
柔軟性はあったものの 手具の感覚は 決して良い方では 無かったから たくさん苦労もあり
時に予想の域を遥かに超えた本番のミスもたくさんありました。
らせん をしたままラストポーズをしたり、、、
1分半しかない演技時間の 30秒以上もリボンをほどいていたり、、、(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
初出場大会の感想を聞けば、会場に敷いてあった「人工芝のシートにビックリしました! 」
( ^∀^) 、、、、という感想が第一声だったり、、、、、、
しかしながら
基本的には本人は いつも一生懸命でした。。
中3の時は、夢の北海道で、全中大会出場を果たすと 本番前日は とにかく様々な点で 先生に怒られ チーン(T_T) と沈んでいたにも関わらず
翌日の本番は 神がかったように 完璧な本番で まさかの3位入賞。そこから 突き進んで 全日本ジュニア ミス続出の 初日11位からの 執念の2日目 7位に追い上げ 初の全日本選手権出場へ。
一気に一年で駆け上がっていった。中学で引退も考えていたようだが 高校も続投を決意。
しかし 初のシニア選手は 思っていた程 簡単では無かった。。 1年生では 国体の県選抜チームとして 活躍。岩手国体 3位の成績を残した。しかし この直後 精神と身体のバランスを失い 学業も新体操も苦しく しばらく 新体操から離れた。再び戻って来る事を信じて待つ事 3か月。
「やっぱり やってみようかな。」と言って
再び現れた美空ちゃんは、かなりかなり大きく成長していました。。。。ま、まずは 発表会から楽しく!(^^; と、徐々に 慣らしていったが
フロアに立つには、時間が必要だと感じ日から
3ヶ月後、復帰戦のフロアにたった。
状態は ともかく フロアに立ったのが 奇跡だと感動した。そこから1年かけて 徐々に 本来の美空ちゃんの姿と 能力を 取り戻し
高2の3月には 全国選抜大会出場、高3、6月
関東大会3位 そして 気合いのユースチャンピオンシップでは、本人は 密かに大きな目標を持って試合に臨んでいた。もう一度 全日本選手権に出場する事を 諦めていなかった。見事に 出場権獲得。
8月には 最初で最後 夢のインターハイ出場。
このインターハイには 美空ちゃんの全力を感じました。 人生最大か?!と思うほどのダイエットも成功。休養から復帰した時の大きな美空ちゃんとの その差 12キロ。頑張りたい気持ちがしっかり見えた大会でした。演技は 完璧では無かったが本当に良く頑張った インターハイだった。高3で受験生の美空ちゃんにとっては、
この後の最後の全日本選手権までの 時間が
1番 しんどかったかも しれません。
受験勉強も気にしながらの新体操でしたが 出ると決めたからには 最後まで やれる限りの努力で迎えた全日本は 「これが引退試合だ」と思うと 緊張やら なんやら 不発の種目もあったがフープとクラブは 滑川美空を出し切れた。悔やまれるリボンを見たときは ノーミス出るまで引退させられぬ、、、(-_-;) と 思わず言ってしまった程でした。笑
本当は まだまだ踊らせたい曲があった。。
もっともっと 演じてもらいたい曲があった。。。 と、思うと 引退が残念に思うが(;_;)
本当にたくさんの山越え谷越え 良く頑張った。
新体操での経験は きっと人生の教訓になるはず。これからの美空ちゃんを応援してます。
活躍を支えた家族と 応援してくれた全ての方々に感謝申し上げます。
本当にお疲れ様。たくさん素敵な演技ありがとうね。たまには 踊りに来てください。
これからは 美味しい物 好きなだけ食べてね。
♪( ´▽`)
hiki