‘お知らせ’ カテゴリー
五十嵐 引退
卒業2
昨年の全日本選手権をもって五十嵐遥菜は競技生活を終え引退しました。
長きに渡り沢山の方々に支えられ応援して頂いた事に改めて感謝申し上げます。
*エピソード*
彼女は小学2年の時に新体操を始めたが
間もなくして、その時一般クラスを指導していた先生から私へ一本の電話が来た。
「すぐに育成クラスにあげてほしい子が居ます!!!」
私はあまり期待せずに本人がやる気あるならば。。。と承諾した。
その電話の最後に一言、付け足すように先生は言いました。。
「・・・なんだか 勝ち気がすごいのー。。^^; 」
この些細な一言がどれほど深い意味だったか知るよしも無く、ここから14年、私の彼女との壮絶な競技人生が始まるとは、誰も想像もしなかった。
彼女は小さい時から夢や目標は、まるで晴れ渡る青空のように果てしなく広く高く。
しかし彼女の気分や努力は「天気」のように晴れたり曇ったり….であった。
どんな時も真面目で、素直で、どんな小さな事にも全力で取り組む、努力に努力に努力を重ねる選手。。と言うよりは、その時々の勢いで突っ走る選手。
そんな選手だったので、一筋縄ではいかなかった。笑 (*´ー`*)
小学生の時には練習中に、彼女に質問を投げかけた。質問の答えはYESかNOしか無いような質問だったが、彼女は泣いて黙っていた。30分以上しても黙っていた彼女に、もう一度「どっちなの?」と聞くと泣きながらこう答えた
「質問は、、、なんでしたか、、、。」
・・・・ 彼女はなんでわざわざ30分泣いていたんだろうか。。。そのあと、私に背中を向けて座って肩を揺らしながら泣いてるように見えた。呆れた私がその背中に向かって私は渾々と叱っていたら、振り返った彼女は泣いているのではなく、
お茶をゴクゴクと飲んでいた。。。(-_-)
と、まぁこんなやり取りは盛り沢山あったが、とにかく指導していた私に喰らいつくぐらいに挑んできた。14年間を振り返ればお互いを刺激し合う事で、指導者として、選手として成長していったように思う。
小学3年には選手クラスに上がり、4年生ではチャイルド選手権で入賞。そこからメキメキと力をつけ始めた。
目立つのが好きだった本人の気質を生かして、とにかく印象に残る作品を彼女に振り付けてきた。
小中学生には難しいのではないか、、、
という曲や踊りも本人は堂々と色鮮やかに踊りこなしてくれたのは、振り付け側からすれば本当に幸せな事であった。
同じ年代には、かなり多くの選手達が同じように頑張っていて試合を共に戦う仲間としては、たくさんの刺激があり、憧れや負けるもんか!と思う気持ちが彼女にアドレナリンを与えてくれてジュニア時代は躍進していった。
特に中学2年は劇的な年であった。初出場で臨んだユース選手権では、その年の本人の目標の全日本ジュニア出場よりも一足早く全日本選手権出場の権利を得た。
しかしながらジュニア予選の方が波瀾万丈で、大事な関東ジュニア大会では1種目めのフープで大場外2回。会場から悲鳴が起きるほどの惨事で47位と大きく出遅れた。フロアから戻ってきた本人に一言「必ず巻き返すよ」だけ伝え、次の種目の準備に行かせた。残り3種目で追い上げ7位で初の全日本ジュニア出場を手にした。
この年の全日本ジュニアはアジアジュニア代表予選を兼ねていた大事な試合であった。その事を最後まで本人には伝えずに私はバレないように密かに通過を祈っていた。激戦の全日本ジュニアであったが試合が終わると、彼女は通過4枠の中に食い込んでいた事に感動した。そのあと数ヶ月、日本代表として過ごす様々な合宿やコントロールシリーズは、毎回とても気が重かった私とは裏腹に(笑)、本人は意気揚々と参加していて新体操人生で1番充実していたと同時に一番新体操に「没頭」していた貴重な時間であった。
日本代表として出場したアジアジュニア選手権でも本人らしく堂々と踊り切り国別対抗3位に貢献し、種目別フープも4位と十分すぎる頑張りを見せた。
ジュニア期が終わり高校生のシニア期になると、たくさんの壁にぶち当たる事が多かった。気分が乗ってない時期に選抜大会で優勝し、逆に優勝を狙ったインターハイでは惨敗し、なかなか思う通りには行かないスポーツの難しさであった。
高校3年間は国体の団体にも参加した。身体の故障も1箇所また1箇所と増える事に辛い事も増え、辞めたいと言い出す事も出てきた。嘘をついたり、ふてくされたり、周りのみんなをとても悲しませる事も多くあったが、なんだかんだ言っても辛い事から逃げたいだけで結局踊る事はとても好きそうで、フロアの上ではしっかりと華を咲かせて結果を導いてくれた。
新体操を大学で続けると決めるには少し迷っていたが残り4年頑張る事を決意して入学した。入学と共に新体操のルールが技重視と変更し、もともと手具操作が得意では無かった本人にとっては非常に苦労し、自分が求めている結果や演技がなかなか思い通りにはいかない試合が続いた。
大学生活も後半に差し掛かり、最後2年をハイパワーで頑張りたいと思っていた時に、コロナウィルスが世界を震撼させ、様々な制限のある生活を強いられ、あっという間に大学3年生は終わりラスト1年は、更に苦境な状況で迎える試合が多く、万全を期して迎える試合がほとんど無かった。
残された試合はインカレとJAPANだけという状況になっても身体は故障を抱えていた。誰が引き止めても出場する意向を崩さず試合に向かった本人に、身体からのレッドカードが出されたかのように試合二日前に更なる故障が起きて無念の棄権。これは試練か、天罰か、大殺界か、、、というぐらいの状況に陥った。残されたJAPANまで2ヶ月半。とにかく過酷なリハビリとタイムリミットに焦るあまり諦め荒れ狂う時期もあったが、とにかく信じて進むしかなかった。「再発のリスクは抱えています。」という医師からの通告。頑張ろうとすれば突き付けられる現実。試合を迎える最後の最終まで、出場できるのか、跳べるのか、最後までもつか、何と言っても本人の「お天気」が持つか、、という状態でした。
五十嵐史上最強のプログラムで最後のJAPANを迎え勝負したい。と怪我をする前に語っていた本人であったが、残念ながら「最強」までもっていけなかったが、出場に至るまで本当に良く頑張り耐えた。
中2から出続けた9回目のJAPAN。
本人が望んでいた結果や勝負は出来なかったけれど、本人と私が見せたいものは披露できた。後世の選手達の記憶に一つでも残せるものがあれば幸せです。
波瀾万丈のJAPANが終わり二週間もしてから挨拶に訪れた本人から語られたのは、感謝では無くやり切れなさであった。
満身創痍で試合に出たかった事や、叶わなかった目標の無念を口にしていたが、、、 試合は終わってみて他に思う事は?と聞くと、
1.リハビリの体幹トレーニングをやらなくてすむ。
2.嫌いなバレエも、もうやらなくてすむ。
3.手具の基本練習は嫌い。筋トレはもっと嫌い。
4.私は新体操の「踊る」ことだけが好きでした。
と、堂々とはっきり答えた本人でした。笑
9回もJAPANに出場して、それなりに上位にいた選手のこれが本音か。。( ̄∇ ̄)
・・・あなたがもっと真面目だったら結果も違っていたわね。。と笑いました。
本当に一筋縄ではいかなかった選手であったが、他にはない色濃く個性をだして華やかに、どんな作品もドラマティックに踊りこなしてくれた事に感謝したい。
もう一度観たいなぁと思う作品があるって幸せですね。(´∀`*)
本当にお疲れ様でした。
どんな場所からどんな時も応援してくれたたくさんの方々、懸命に治療とリハビリに取り組んで頂いたAR-exスタッフ「team五十嵐」の先生方、お世話になった中学、高校、そして大学の先生方に心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。
佐藤 引退
卒業1
昨年9月の岐阜フェスタの出場を最後に佐藤京香が競技生活を終えました。
長きに渡り応援して頂きありがとうございました。
*エピソード*
年中でNOVAのスタジオレッスンから新体操を始めた京ちゃん。育成クラスに入ったのは小学2年生。同じ学年の中でも、とにかく身体が小さくて目立っていた。
身体が小さいからといって年齢よりも幼かった訳ではなく、いつも穏和で周りを和ませてくれた。しかし一度だけ体育館の前でグズって泣いていたのが印象にある。
泣いてる姿を見たのが初めてだったので
少し驚いたが、、、ママには「やるの?やらないの?!どっち!( ̄^ ̄)」と言われ・・・
オギャー(´༎ຶོρ༎ຶོ`) と、こんな顔してました。笑。
そのあと普通に練習していたが初めて見た幼い姿であった。そこから15年間彼女の成長を見守る事になるとは想像もしなかった。
NOVA史上初のチャイルド団体で長野カップに出場したメンバーの中にいた京ちゃん。身体の小ささを生かして小気味良く動いてくれた。その時は徒手団体だったが、発表会作品を踊っていても運動の勘が良く、手具も自然に扱えて教えた事の飲み込みがとにかく早かった。その力に目をつけて選手クラスに上げたのは4年生だった。一足先に選手クラスに上がった遥菜とはまた異なるカラーの選手で、コミカルさと巧みな技術を持ち味にした選手で、とにかくコツコツカリカリと努力型であった。
小さい時から割と褒められる事が多かった京ちゃんだったが、記憶に残る珍事がある。小5の時に個人選手として長野カップに出場した。ロープを踊った京ちゃんは「あの小さい子、上手でしたねー」とたくさんお声を頂いた。まだまだ駆け出しの頃だったがこれからの成長を楽しみにした瞬間だった。その翌朝、朝食会場集合時間になっても姿を見せない京ちゃん含む選手3人。これはもしや・・・( ̄^ ̄)と部屋の扉を トントン、トントントンと叩いてみたが応答なし。行き違ったかな?と朝食会場に行ってもやはり姿は見えず。。
まさか、これは。。。と再び部屋の扉を
バンバンバンバン・ババババババンと叩いたみた。すると・・・ガチャ。。。「おはようございます。京ちゃんはまだ寝ています。。。」 部屋を覗くと広〜いベッドに大きな「大の字」を描いて爆睡している佐藤京香選手がいた。この日の出来事はのちに「NOVA朝寝坊事件」として歴史に残るとともに、その後のNOVA遠征持ち物に
「目覚まし時計」が必須となった理由である。もちろん大の字京ちゃんの隣には大の字五十嵐が寝ていたのは紛れもない事実である。。。
しっかり者の京ちゃんも、ちゃんと子供な幼い部分が見え隠れする時期であった。
ジュニア期は先に活躍し始めた遥菜の後を追いかけるかのように、試合の応援に行っては「次は自分もこの大会に出たい!」と純粋に目標を掲げ、とにかくスピードのある動きと他の人がやらないような技への挑戦を武器に遥菜とは違ったカラーを出して全中大会、全日本ジュニアへの出場を果たした。
高校生になりシニア期へと変わり、またジュニアとは一味違うシニア大会にも頑張りを見せた。身体が小さかった京ちゃんがシニアで戦うには苦労も多く、コミカルが売りの佐藤京香から少しずつ新たなシニアのカラーを出すのも容易ではなかった。
勝ち上がれば出場できる試合もあれば、インターハイのように県から1名しか通過しない大会は、二人ともがその1枠獲得に向けて刺激し合うような練習をしていて、見ていて微笑ましく思う反面、二人とも出場させてあげたいなぁ。。と思う心境でした。
自分の前を走る遥菜と後輩の滑川美空が著しい成長を見せて追い上げてきたので、間に挟まれた京ちゃんはとにかく常に全力で努力していたのが印象深い。
インターハイこそ出場は出来なかったが
様々な大会はだいたい二人揃って出場できた。本人の高校時代最後の目標は全日本選手権に出場する事であった。高校3年にして念願叶って権利を得る事ができた。
初出場のALL JAPAN。試合が近づいて来ると共に非常に練習の精度が悪くなり、とにかく緊張からか弱気になっていた本人に
「そんなに不安なら自分は最下位なんだと思って出場しなさい。どんだけボロボロに失敗しても、自分より下は居ないと思えば気が楽でしょ!( ̄^ ̄) ! 」
と、叱咤激励を飛ばした私であったがこれが功を奏したのか、試合本番の京ちゃんは何かを割り切ったかのように、清々しい演技を披露してくれた。結果14位。翌年の代表決定戦にも通過する快挙を成し遂げた。本人の渾身の努力とそれを支えた家族の努力が実になった瞬間であった。
新体操選手において、自分にもっと○○があれば。。とか、○○を持ち合わせていれば。。と大半の人が一度は思ったことがあるのではないだろうか。もちろん京ちゃんもその一人。試合後に「京香ちゃんは多くの新体操選手に夢と希望を与えてくれる選手です。」とジムラブのシーナさんにお言葉を頂いた時は、高得点よりも嬉しい一言でした。
大学に進学して新体操を続投する事を遥菜よりも一足早く決意して進路を自分で決めた本人。大学入学と共にルールは更に変化し、年々技の量に追われようになり、それまで器用と言われていた京ちゃんも、技が増える分ミスする事との隣り合わせで、常に緊張や不安、最終結果を気にする余り乱れる事も増えた。学年が上がるたびに増えていく故障と自分の理想と現実が思い通りに行かない辛さに何度も涙を流しては、また立ち直ってひたむきに努力する姿は小さい時と変わらなかった。
そんな京香さんでもコロナにより日本国中が自宅待機になった時期には、意気消沈した。来年こそはと立ち直って迎えた大学4年では絶望の果てまで落ち込んで、「二度とフロアには立たない」と引き篭もった。
そんな本人に奇跡とも言えるコロナ禍でのクラブ選手権にチームが決勝に残った連絡が入った。予選はコロナ禍で初の試みの映像での予選。誰もが結果は見えなく、この予選に通過しなければ京香さんにはもう後が無い状況であった。
絶望からのスイッチはすぐには入らなかったが、試合までは約3週間しかなかった。
ほぼ毎日のように彼女の練習に付きっきりで過ごした。最期にしてここまで濃厚な時間を過ごせた事を幸せに感じた瞬間であった。
ジュニアの頃は、技のデパート、踊るチョロQ なんて言われた事があったが、さすがに22歳の彼女にそこまでのパワーが無い。若い時は、何も考えずサラっと出来たような技が、どうやればいいのかさえ分からない事もあった。
歳を重ねる度に身体が大きくなったり、様々な故障により変化していく自分の身体。体力も足りなくて思い通りに身体が動いてくれず、思ったように技が決まらない。成功するか失敗するか不安がよぎる。
練習を見ていると、小さい頃を思い出す事もあり、大人になったなぁ。。。と、しみじみ思いながらも、、、、毎日葛藤ばかりであった。迎えた全日本クラブ選手権本番は、最期にしっかり全盛期の京香さんを思わせる演技をしてくて本当に清々しい踊りでした。
公式戦はこれが本当に最後だったので、もっと破茶滅茶になるかとも予想していたが、本人は「ビックリするほど緊張してないんですー。(´∀`*) 」と、とても試合を楽しんでいた。
こんなにやれるんじゃないか。。。とつくづく思った。とにかく本当に良かった(´ω`) ほっ。お疲れ様でした。良く努力した!頑張った事を「財宝」にしてほしいです。(^∇^)
本人を後押ししてくれるルールの時もあれば、苦しめられるルールの時もありましたが、「キャラクター」を創り上げながら見ていてワクワクする演技をたくさん踊ってくれました。京ちゃんの演技が好き、演技見たい!楽しみ!というお言葉をたくさん頂き、声をかけられる度に励まされ「また頑張ろう」という活力になりました。
多くの方々に応援して頂き本当にありがとうございました。お世話になりました全ての方々に心より感謝申し上げます。
卒業
卒業
新年早々にコロナ、コロナ、コロナで体育館が使用できなかったりなんだりしている間に
季節はすっかり春へと移り変わり
引退した高校3年生が卒業の挨拶に来てくれました。
越智 柚喜、鳥丸万梨子、西野玲名が高校を卒業しました。
3人とも長くNOVAで新体操を続けてきて
苦楽を共に味わい それぞれ辞めたい時期もあったけど 国体チームやインターハイに出場する事もできて この歳まで諦めずに続けてきたからこそ 味わえた経験がある。と後輩のみんなに言葉を残してくれました。(;_;)
みんな卒業おめでとう!( ^∀^)
よくがんばりました!
一つの事を長く続ける事は本当に苦労も多いけど 人生の宝にして これからも頑張ってほしいです。
4年間 御指導してくれた成瀬コーチも
茨城大学を卒業!春からは小学校の先生になります。本当にいつも暖かく熱意ある指導を
ありがとうございました!(・∀・)
これからも頑張ってください。
さぁ
間も無く桜も咲きますね。
試合もやっと始まります。
昨年の分も 頑張ろう!(๑˃̵ᴗ˂̵)
鹿児島インターハイ
鹿児島インターハイ
明日より鹿児島県にて インターハイが開催されます
NOVAから 鳥丸万梨子が茨城県の個人選手として、
越智 柚喜が団体選手として出場します。
3日に現地入りして 今日は
開会式でした
明日は いよいよ個人競技本番です。
初出場の万梨ちゃんは
練習も自分を見失わず 集中してできました。
茨城県も 脅威的な暑さですが
鹿児島県も 暑〜い(*_*)
ホテル目の前は 桜島です。
絶景です。
鹿児島名物の「シロクマ」を
しっかり堪能した万梨ちゃんは 明日頑張ってくれる事でしょう。d( ̄  ̄)
空は こんなに晴れていますが
、、、
明日 なんと( ̄◇ ̄;)
台風直撃予報により
試合開始が2時間遅れることが発表されました。
試技順46番の万梨ちゃんは
ほぼラストに近く
出番予想時刻は
18時となりました。
((((;゚Д゚)))))))
「シロクマ」のパワーで乗り切ってくれることでしょう。
( ^ω^ )
こちらインハイTVにて 皆さま
応援よろしくお願い申し上げます。
https://inhightv.sportsbull.jp/sports/top?sports=2
出場選手の皆さん 青春のインターハイ 頑張りましょう!
滑川美空 引退
滑川美空 引退。
滑川美空が 発表会をもって、選手としては
昨年の全日本選手権をもって 現役を引退する事になりました。
歴代のNOVAの選手の中で 最も エレガントに踊ってくれる選手だった 美空ちゃん。
小4の時に NOVAに来て 公式の初試合は 6年生のチャイルド選手権。この年は ロンドンオリンピックの年でした。オリンピック二連覇を成し遂げた あのカナエバ選手を
「知らない、、、」と言った美空ちゃんに 衝撃的でした。この子を選手として育てるには どんな苦労が待っているのだろうか、、、と 考えた記憶がある。(^-^;
柔軟性はあったものの 手具の感覚は 決して良い方では 無かったから たくさん苦労もあり
時に予想の域を遥かに超えた本番のミスもたくさんありました。
らせん をしたままラストポーズをしたり、、、
1分半しかない演技時間の 30秒以上もリボンをほどいていたり、、、(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
初出場大会の感想を聞けば、会場に敷いてあった「人工芝のシートにビックリしました! 」
( ^∀^) 、、、、という感想が第一声だったり、、、、、、
しかしながら
基本的には本人は いつも一生懸命でした。。
中3の時は、夢の北海道で、全中大会出場を果たすと 本番前日は とにかく様々な点で 先生に怒られ チーン(T_T) と沈んでいたにも関わらず
翌日の本番は 神がかったように 完璧な本番で まさかの3位入賞。そこから 突き進んで 全日本ジュニア ミス続出の 初日11位からの 執念の2日目 7位に追い上げ 初の全日本選手権出場へ。
一気に一年で駆け上がっていった。中学で引退も考えていたようだが 高校も続投を決意。
しかし 初のシニア選手は 思っていた程 簡単では無かった。。 1年生では 国体の県選抜チームとして 活躍。岩手国体 3位の成績を残した。しかし この直後 精神と身体のバランスを失い 学業も新体操も苦しく しばらく 新体操から離れた。再び戻って来る事を信じて待つ事 3か月。
「やっぱり やってみようかな。」と言って
再び現れた美空ちゃんは、かなりかなり大きく成長していました。。。。ま、まずは 発表会から楽しく!(^^; と、徐々に 慣らしていったが
フロアに立つには、時間が必要だと感じ日から
3ヶ月後、復帰戦のフロアにたった。
状態は ともかく フロアに立ったのが 奇跡だと感動した。そこから1年かけて 徐々に 本来の美空ちゃんの姿と 能力を 取り戻し
高2の3月には 全国選抜大会出場、高3、6月
関東大会3位 そして 気合いのユースチャンピオンシップでは、本人は 密かに大きな目標を持って試合に臨んでいた。もう一度 全日本選手権に出場する事を 諦めていなかった。見事に 出場権獲得。
8月には 最初で最後 夢のインターハイ出場。
このインターハイには 美空ちゃんの全力を感じました。 人生最大か?!と思うほどのダイエットも成功。休養から復帰した時の大きな美空ちゃんとの その差 12キロ。頑張りたい気持ちがしっかり見えた大会でした。演技は 完璧では無かったが本当に良く頑張った インターハイだった。高3で受験生の美空ちゃんにとっては、
この後の最後の全日本選手権までの 時間が
1番 しんどかったかも しれません。
受験勉強も気にしながらの新体操でしたが 出ると決めたからには 最後まで やれる限りの努力で迎えた全日本は 「これが引退試合だ」と思うと 緊張やら なんやら 不発の種目もあったがフープとクラブは 滑川美空を出し切れた。悔やまれるリボンを見たときは ノーミス出るまで引退させられぬ、、、(-_-;) と 思わず言ってしまった程でした。笑
本当は まだまだ踊らせたい曲があった。。
もっともっと 演じてもらいたい曲があった。。。 と、思うと 引退が残念に思うが(;_;)
本当にたくさんの山越え谷越え 良く頑張った。
新体操での経験は きっと人生の教訓になるはず。これからの美空ちゃんを応援してます。
活躍を支えた家族と 応援してくれた全ての方々に感謝申し上げます。
本当にお疲れ様。たくさん素敵な演技ありがとうね。たまには 踊りに来てください。
これからは 美味しい物 好きなだけ食べてね。
♪( ´▽`)
hiki
2019年 NOVA発表会
3月31日 常陸太田市民交流センター
(愛称:パルティーホール)にて
発表会が開催されます(*^。^*)
新体操は14:50~15:50の一時間
今年のテーマは、NOVAシネマコレクションです☆
様々な年代の映画から2018年話題になった作品まで幅広く演出予定です*
気軽に足をお運びくださいね(#^.^#)
入場料は無料です☆
全日本選手権2018
全日本選手権2018
昨日、今日と 個人総合が行われました。
1日目のフープ、ボールは NOVA3人とも 大きく乱れる事は無かったですが 少しそれぞれ
小さくまとめてしまった部分が残念。でも 落下は大きな減点になる現在のルール。なんとか落下無くまとめたのは 良かった!
2日目のクラブ、リボンは 多くの選手が 落下に泣きました。またリボンで結び目ができるミスもたくさん 見かけて 最後まで順位が見えてこない状況でした。
今日出番が早かった京ちゃん。
最初はクラブ。サブでは 落ち着いて しっかり自分をコントロールすることができていたのに 本番が近くなるにつれてバタバタし始めるのは 悪い癖。
結果 本番落下ミスが出てるのは
残念すぎる。やれないわけじゃないので あとは 気持ちだけだと思うので 乗り越えたい課題ですね。リボンは とてもいい動きと布のハリを見せた。一ヶ所ポロりがありましたが 全体的には スピードもあり 良かった!
大学になり 成長が見れた部分もあり これからも頑張ってほしい。
五十嵐遥菜は、リボンから。
サブでも 落ち着いて確認し、いい集中ができていて 大会2日目でしたが身体も良く動けていました。本番は 一ヶ所 リスクが不発してしまったけれど 動きも良く 何よりもハルナさんらしく演じられたのが良かったです。
クラブも しっかりマイケルになりきって!と 最終種目の踏ん張りを見たかったですが リスクで落下。そしてADで もったいない落下。(ㆀ˘・з・˘) 残念すぎたマイケルになってしまい、悔いが残りました。 うーむ、
惜しい。
滑川美空 リボンから。
リボンは昔から苦手種目で四苦八苦。しかし、サブでは まだ良くまとめていたのに、、、本番は凄まじかった。。あぁ悔やまれます。無念。
クラブこそは!と 気合い入れてフロアに向かった美空ちゃん。
1分20秒までほぼ完璧でしたが
リスクで痛恨の落下。
美空ちゃんの良さがしっかり出せていただけに もったいない。
人生の課題にして 次に向かいましょう。
最終結果
15位 五十嵐遥菜
26位佐藤京香
30位滑川美空
何はともあれ3人揃っての
全日本選手権の出場に感無量です。
支えてくださった皆様に感謝申し上げます。
ありがとうございました。
明日の種目別決勝に
フープ、リボンで五十嵐遥菜が出場します。
頑張れ 遥菜さん(*’▽’*)
試技会
試技会
今日は 福井国体前 最後の試技会が行われました。
選手で出場する 鳥丸万梨子
そして同時に全日本選手権に出場する滑川美空も 参加させて頂きました。
福井国体本番まで あと1週間。
出発までは 4日。
日に日に 万梨ちゃん含め みなさんは 集中と緊張を増してきました。
残り数日 チーム一丸となって 頑張って!٩( ‘ω’ )و
最後まで
怪我なく 試合を迎えてください。
滑川美空ちゃんも いい機会を与えて頂き 感謝でしたね!
全日本まであと1カ月を切りました。
いい残り時間を過ごしましょう!ᕦ(ò_óˇ)ᕤ
台風24号 、、、
その名も「チャーミー」が 迫る中 たくさんの皆様に見に来ていただきました。
本当に暖かい応援ありがとうございました。
皆さま チャーミーに気をつけて
お過ごしください。。